qsokuの日記

役立ちそうなこと、楽しいこと、気になったこととか書いてます。

この世とあの世はどちらが実在か?

この世もあの世もどちらも幻想

あの世は実在する!あの世が実在の世界だ!あの世の為にこの世で頑張って生きる!

って本をたくさん読んでいました。若いころ。

以前 倒れた時にあの世の光景を見たわけではありませんが、その時から あの世は確実に存在する世界だとより強く感じるようになりました。

同僚も死に、姉も死にましたが心に浮かぶのはいつも笑顔の姿です。

あ~苦しんだり困ったりしてなくてよかった~。と本気で思えています。

だからといって 死ねばあの世に行くからあの世が故郷なんだ。とは思えません。

調べるといろいろな説があります。

あの世の記憶を持っている人も私が思っているより(世界で2~3人じゃね?と思っていたので)多いみたいでたくさんのお話を知ることができました。

 

でもその言葉この世で生きているときに言ったんだよね!

 

スゲー調べたのにとんでもない事実に気が付いてしまいました。

中にはなんかキメちゃっている人がいたかもしれません。

瞑想で光?をイメージして その境地に辿り着いた~という話も聞きました。

 

・・・ほら、人間ってさ空飛びたいって考えて飛行機作ったじゃんか。みんなで力を合わせるといろんなもの作っちゃうよね。そのもとはリアルな想像力。思考を集中して想像していると創造できてしまう動物なんだよね!すごいよね!

 

ってことはです。じゃぁ、瞑想で見たものって本当にあの世なの?団体さんで意識を集中して高揚感と一緒に作り出してしまったものがこの世のものでは無くあの世の物だとなぜ言えるの?

あの世が本当にあったとして、見たそれが本当にある世界だとなぜ言えるの?

 

なので私は想像を使った瞑想で得たものは信じられません。瞑想は体への意識の集中から行うのがベストだと感じています。武術にも仕事にも活かせますし。

 

死んだらあの世に行くとして、でも私はこの世で生きている。

この世を起点に考えればあの世に帰るのかもしれない。

でもまたこの世に来れるのなら、あの世から見たらこの世に帰ってきたと感じるかもしれない。

 

私の故郷は群馬県。彼女の故郷は茨城県

お互い生まれたところを故郷と思ってる。

この世に生まれたらこの世が故郷だし。あの世に生まれたらあの世が故郷になるだけ。

今、この世のことが少しわかってて、あの世のことはほとんど知らない。

どちらが実在か?二つの世界があるのなら、それのどちらかだけが実在していることなどあるのだろうか?

この世が実在しているのなら、あの世が実在してたっていい。

でも、あの世のことがよくわからないし、あの世を実在??って感じてるならあの世は実在していないし、この世も実在していない。

この世は時間とともにコロコロ変わってしまう。

そう考えると、この世が実在しているとは考えられなくなる。

だから私は、この世もあの世も幻想だと思う。

この世の事実

科学はいろいろ発見するからおもしろい。

最近では量子力学(詳しくはしらないけど)がおもしろい。

観測者の想像が実健結果に影響を与えてしまう。

このメッセージを真面目に聞き入れている人はいないようだけど。

もし、それを真面目に聞き入れたら今までの実験データの全てに修正が必要になってしまうけど修正されないし。

私の好きな健康情報はほぼすべて使い物にならない主観的なデータの上で成りたっているものなのに、今まで通りに商品が開発されてて主観的な実験データで信用を勝ち取ることができて売れていますし。。。

うすうすは感じていましたけどね。一日で必要なビタミンの量とか違うなって。

ダイエットを成功させる秘訣はサプリや技術ではなく心のもちようを変えることが一番大切だって。だから、自分が思えるこうすれば痩せるって方法を見つけて痩せるモチベーションが維持できれば勝手に痩せる可能性があると。(持論では体の中の巡りと食事回数が大切としていて実際にそれを守ることで私は太りません)

思いの力って偉大。

そして、この世と言えば物質。

物質は調べていくと最後は微粒子になるようです。

その微粒子の寿命?が一兆分の一秒に満たないらしいのです。

人が物を見て反応するまでに0.5秒かかると聞いたことがありますが、きりのいい数値に直して1兆分の1秒の出来事が0.5秒の間に何回繰り返せるかを考えると

5千億回繰り返していることになる(あってるかな?)。

よく合わからないのだが、とにかくたくさん現れては消えている。

だから、物質をあるように感じているんだねと、理解すると同時に、じゃあ5千億回消えている方はどうなった?という疑問が生まれます。

無いものはそもそも無いのだからある方しか感じない。

そうなのだが、無いと感じることができたらこの世の全ては在って無いもの。常に変わるもの。無常。。あ、仏教で言ってますね!

お釈迦様ってそういうの感じちゃう人だったのかもしれませんね。

消えるけどまた同じものが出てくるって不思議じゃありません?

なにその関連性?どの情報?遺伝子とかのレベルじゃないですよね。だって遺伝子すら消えては現れているんですから。

この関連性を命と呼ぶのかもしれません。

 

今を生きるの今っていつ?

私達は生きています。死んでも存在はするのでしょうが、肉体は生きています。

その肉体にある脳は物事がおきる7秒前に情報をつかんでいるって話があります。

今のことを7秒前に知っているんですって。

早くね?

あれーー理解に苦しい。

物事を目で捉えて反応するまでに0.5秒かかっている。

でも、脳は7秒前にそのことを知っている。

きっと脳の中の違う機能を使っているんでしょうね。

普段私たちが認識している世界の出来事は0.5秒後の出来事。

でも、実際に物事の結果が現れているのが7秒前。本当の今はこっちっぽい。

今を全力で生きるんだ!!って言った時は見たものを感じていたんじゃ遅いってことですね。もう過去の出来事です。7秒先に生きていないと本当に今を生きることにならないかもしれません。

今を生きる感覚のつくりかた

ということは、今を生きるのが非常に難しい。

悟りを開いたお釈迦様は今を大切にされていたようですが、お釈迦様の今って7秒先を指していたのかもしれません。

 

もし どや顔で 先輩が「今を前向きに生きろよ~」なんて言ってきても0.5秒後に生きているかもしれません。

確認しましょう。

「先輩 スゲーっす!7秒先いってますね!」って質問する前に

「おう!」って答えたら本物です。(ケンブンショクノハキ!?)

 

実際問題 どうしたら今を生きられるか?方法を探してみました。

そしたら林修さんの人生の捉え方が参考になりました。

人生はプレゼンに似ていると捉え先ず結果から考えていくようです。プレゼンは言いたいことのゴールを先に決めておいてから 作ると伝わりやすい構成になるようですね。

なので人生でも5年後の未来(結果)の自分はこうなりたい、だから4年後はこうなっている、そうして今何をするかの最善が観えてくる。みたいです。

未来を結果にして捉えている。

これが、今を生きるって感覚に一番近いと思いました。

今が全て

そしてこの今を生きる感覚を養っていくと本当の事実が観えてくると思っています。

あの世が実在?この世しかない?

私は7秒先で全てが繋がってあの世もこの世も無く「今」があるだけだと感じますが、

みなさんはどうでしょう?

 

長文いつも 最後まで読んでいただき ありがとうございます。